ラブライブ!サンシャイン!!を知らない子供たち
ラブライブ!サンシャイン!!2期感想「#13 私たちの輝き」篇になります。
文字数制限でHTMLタグが存分に使えず読みづらいかもしれませんがご了承ください。
ふつうの、ひとりの女の子が自分を見つめ、自分の人生を肯定し、自分をスキになる。
最高の愛の物語。
TVアニメ版26話が全て終わったので、ざっくり総括がてら書けたらいいなと思っています。
- ありがとう浦の星
ついにやってきた卒業式&閉校式。
通常であれば卒業式が先駆けて行われ、在校生の終業式はその後に行われるもの。
全員が同じタイミングで終わりになる、というのは言いようのないカタルシスを感じます。
式を前に、空っぽになった部室でとりとめのない時間を過ごし「なんにも無くなっちゃったね」という千歌たち。
そこに現れた果南。
そんなことないよ。
ずっと残っていく。これからも…
かつてこのホワイトボードにメッセージを忍ばせ、自身の口からは多くを語らなかった果南。
そんな果南が、ホワイトボードに頼らずに自分の口で想いを綴る。
こういうふとした機微に彼女たちの成長を感じられるのがこのアニメの好きなところです。
場面は移り、「理事長」と「生徒会長」が最後の仕事に向けて打ち合わせをしています。
言っておきますけど、おふざけはNGですわよ。
最後くらいは真面目に。
もちろんそのつもりデース。
一番真面目に、一番私たちらしく。
本当です…の
よりによって理事長室の窓にデカデカと自分の名前を書いちゃうの、実はかなり肝座ってるんじゃないのか?
これは、なんですの?
ダイヤちゃん、寄せ書きなんだって。最後にみんなでって。
ダイヤ”ちゃん”。
かつて「ちゃんとしてるダイヤさんが好き、だからダイヤさんでいてください。」と言われてから形式的に一度だけ呼ばれた、念願のダイヤ”ちゃん”。
今日限りで生徒会長や上級生としての責務を終えるダイヤにとって、最高に嬉しい「送辞」だったのではないでしょうか。
刷毛を差し出されたダイヤどころか、全校生徒総出で中庭側の壁に寄せ書きをしていきます。
このラブライブ!サンシャイン!!2期は「Aqours Next Step Project」のうちのひとつ。
「Next Step Project」テーマソング【Landing action Yeah!!】の歌詞に”ずっと変わらないモノ?楽しい思い出の中に閉じ込めるいまの光かな” とあるように、学校の外側からは見えない場所に想い出を閉じ込めているようにも思えます。
そしてこの寄せ書き、自分たちのために遺したものであることに間違いはないのですが、もう一つの意味も込められていたら。
そのもう一つの意味とは、「まだ見ぬ後発のスクールアイドルたちへ向けて」。
かつてAqoursは手がかりを求め、かの伝説の音ノ木坂学院へ訪れました。
在校生曰く「見学に来る人は多い」とのこと。
つまるところ、「ラブライブに優勝したが廃校になってしまった」というおまけ付きの浦の星女学院もまた伝説にならないはずがなく、浦の星に見学に来るスクールアイドルだっていてもおかしくありません。
そんな後発のスクールアイドルたちに何かひとつでも「気づき」のきっかけがあればいい、というメッセージも込められているのかもしれません。そう思えば、素敵じゃない?
もう誰も着ることがなくなってしまう浦の星女学院の制服のデザインを永遠に遺しておく、というのも素晴らしいですね。
顔中ペンキまみれになりながら、浦の星女学院はその長い歴史の幕を閉じます。
なんか変だね、鞠莉からもらうなんて。
一生の宝ものだよ。大切にね。
卒業、おめでとう!
すれ違ったままでは絶対に見ることのなかった光景、ダイヤの万感の表情。
まさに宝もののような時間です。
卒業式&閉校式を終え、各々が想い出の扉を閉じに向かいます。
2年生の教室。
むつたちが描いた、と言っていますが、これは沼津へ舞台探訪で訪れた人であればほぼご存知であろう「つじ写真館」さんの黒板アートです。
各キャラクターのお誕生日やイベントごと、いつも楽しみにしています。
いちファンの想いが起こした行動が、こうしてサンシャイン!!に還元されていくこと。
ファンの気持ちがコンテンツを支えていることを改めて感じますし、なんだか自分のことのように嬉しかったでのです。
次いで図書室。
図書室といえば花丸とルビィにとって大切な場所。
ふたりがスクールアイドルになったときのことを善子は知りません。
だから善子は扉を閉じるのを拒んだ。
この部屋はふたりのものだから。
無粋なことはしない、という善子はやっぱり善い子なのですが、珍しく声を荒げる花丸に気圧され一緒に閉めることに。
花丸とルビィにとって、善子はかけがえのない仲間です。
だから一緒に閉めてほしかったのでしょう。
ありがとう。
次いで音楽室。
わたしね、すーっと言っておきたいことがあったんだ。
実は、梨子ちゃんのことが、だ~~~~~~~…
最終回で修羅場はやめてね…
いすき!
ですよね~~~!!!
とはいえ、曜自身ほんのすこし怒っていたこともあるかもしれないし、梨子が戸惑ったのもすこし心あたりがあるからなのではないだろうか。
梨子は転校当初、千歌に付きまとわれていました。
そのたび、千歌を無下にする梨子。
端から見ていたらあまり印象の良いものではありません。
更に自分の大好きな幼馴染がそんな扱いをされているのだから、「なんだこのスカしたヤツは」くらい思ってもおかしくない。
対する梨子の心当たりは、1期「#11 友情ヨーソロー」で曜の大事な部分に土足で踏み込むようなことをしてしまったから。
誰かの心のなかにある地雷を踏んでしまうと、どうしても気まずくなってしまうものです。
別にいがみ合っていたわけではないですが、「#11 友情ヨーソロー」を踏まえてなおこのふたりが何の屈託もなく「だいすき」といえること、良いですね。
お次は理事長室。
ひとり泣いていた鞠莉に、果南とダイヤから「卒業証書・感謝状」が贈られます。
大丈夫。空はちゃんとつながってる。どんなに離れて見えなくなっても。
いつかまた一緒になれる。
これを受け取ってしまったらすべて終わってしまう、といった表情で躊躇う鞠莉。
「空は繋がってる」と、「#12 光の海」で鞠莉が言っていたことをそのまま言い聞かせる果南。
「また一緒になれる」と、いう「お祈り」も添えて。
最後は部室。
最後はここ。ここがあったから。
みんなで頑張ってこられた。
ここがあったから、前を向けた。
毎日の練習も。
楽しい衣装作りも。
腰が痛くても。
難しいダンスも。
不安や緊張も、全部受けとめてくれた。
帰ってこられる場がここにあったから。
部室のシーンで、鞠莉の口から「帰ってこられる場」という言葉が出てきたことがとても嬉しかったのです。
離れ離れになってもさ、私は鞠莉のこと、忘れないから。(#9 未熟DREAMER)
果南のこの言葉は、一種の「願掛け」だったのではないだろうか。
また会える時が来る。
来て欲しいからこそ、「忘れない」。
こう言っておけば、鞠莉は帰ってこられるんです。帰ってくる場所を用意してもらえているんです。
帰ってくる場所を用意していたのは果南だけではありません。
#9 未熟DREAMER放送当初から僕はずっと、ダイヤのこの行動を「願掛け」だと思っています。
書いておいた名前を2年生が見るかどうか、見たとしても選ぶかどうかわからない、賭けと呼ぶには勝率の低すぎる、叶うかどうかすら分からない願いです。
「Aqours」という場所を復活させ、果南と鞠莉が帰ってこられる場所を用意していたダイヤ。
で書いたことをそのまま引用してしまいましたが、やはりこれは正しかったようです。
こうしてそれぞれが思い思いの場所に別れを告げ、浦の星女学院は最後の扉を閉じます。
- 千歌と3つの風
ちょっと寄り道です。
千歌に吹いた「風」について。
ラブライブ!サンシャイン!!全26話の中で、千歌に吹いた3つの風があります。
①飄風
「ひょうふう」と読み、意味は「急に強く吹く風」。
1期「#1 輝きたい!!」の冒頭や、2期「#12 光の海」でチラシと千歌をUDXのミニターへ誘い、過去の自分たちとの決別を果たした、きまぐれな風です。
ただの偶然ではなく、2度も同じようなことが起き、さらには自分の運命を大きく決断させるきっかけになった運命の風。
②向かい風
これはそのまま。物事の壁や障害になると言った意味の風。
ダイヤに直談判したときや
1期「#7 TOKYO」 SaintSnowとの初めての邂逅。
どちらも千歌にとっては試練でした。
しかし、これらの邂逅には意味があった。これも運命の風です。
③追い風
これもそのままです。物事の後押しになるもの。
千歌を翻弄し続けていた風がついに味方になりました。
足掻き続けた千歌に、ついに運命が味方したのです。
このさきに待ち受けるのは、愛しの仲間たち。
でもこの時の千歌はそんなこと知る由もありません。
わずかに空いていた校門。
「もしかしたらいつもみたいにみんな居るんじゃないか」
そんな淡い期待と不安が入り混じったような歩みと表情が切ないです。
当然誰も居るはずなく、あるのは着陸した紙飛行機だけ。
リフレインしていた想い出と、現実を目の当たりにして千歌は泣き出してしまいます。
これだけでは本当にただの意地悪な風です。
でもこれは千歌にようやく吹いた「追い風」。意地悪なものであっては報われない。
「「がおーーーーーーー!」」
居るはずのない、聞こえるはずのない「普通怪獣」の咆哮が聞こえてくる。
自分と同じ「普通怪獣」の咆哮、それは「共鳴」です。
”聞こえたよ ここにおいでって”
呼ばれるようにたどり着いた体育館に待っていたのは、愛しの仲間たち。
”待ってるだけじゃ伝わらない、だから…来たのさ!”
ファンミーティングにおいて【Landing action Yeah!!】は「Aqoursが来てくれる曲」として破壊力がありますが、同じ「Next Step Project」の2期においては「Aqoursを送る曲」としての意味を持っているのかもしれません。
- 千歌にとっての「輝き」とはなんだったのか
いよいよ本題です。
ラブライブで優勝し、たしかに手に入れたはずの「輝き」。
しかしその王者の背中からは到底「輝き」や満足感など感じられず、むしろ虚無感すら漂わせるものでした。
「私、見つけたんだよね。私たちだけの輝き。あそこにあったんだよね。」
これは本当に「輝き」を見つけた人間の言う言葉ではありません。
そもそも、千歌の言う「輝き」とは一体何だったのか?
実はこの「輝き」というワード、何のことだかよく分かっていませんでした。
「輝き」という言葉はあまりにも漠然としていて、たくさんの意味を内包していて、正直とてもフワついている言葉だな、という印象でした。
この「輝き」、説明しろと言われても、適切な言葉がわからない。
だから今まであえて触れませんでしたし、#7「残された時間」で明瞭なものになった「キセキは奇跡から軌跡へ」というAqoursの目標が提示されたときはものすごく痛快だったのです。
でも、この「輝き」って、説明もできないし、人それぞれ形も量も違うものだから、説明できないのが当たり前なんじゃないか?と思うようになりました。
人それぞれの「輝き」を軸に据えて少し。
1期「#8 くやしくないの?」でダイヤから語られたように、現在ではスクールアイドルの数も爆発的に増え、その頂点を争うラブライブは熾烈を極めるものです。
そんな激化してしまったスクールアイドル界。
勝者だけが「輝く」ことを許され、敗者は輝けない。
それはかつてその伝説を残した先代たちの望む世界だったのでしょうか。
答えは否。
全員がそうだというわけではありませんが、SaintSnowの鹿角理亞のように、「負けても輝ける道を見つけた」人もいれば、千歌のように5000組以上いるスクールアイドルの頂点に立ち「勝ったのに輝きが見つからない」人もいます。
ここで通ずるものは「ラブライブはあくまで、道のひとつ」でしか無いということ。
結局「輝き」ってなんなのか、全26話を終えて、あえて言葉にするとすれば、「自己肯定、自分という存在の確立」という意味を内包しているものなのではないか、ということ。
言葉を借りるとするなら、「君が君であろうとしてるチカラ」です。
スクールアイドルを通じて逃げたピアノに再び向き合えたこと。
親友と同じ景色を見られたこと。
憧れのスクールアイドルそのものになれたこと。
なりゆきとは言え、芽生えた憧れを実現できたこと。
自分を隠さずにさらけ出せて、受け入れてもらえること。
すべてがうまくいき、妹と親友と失っていた時間を取り戻せたこと。
諦めていた夢のフォーメーションが実現できたこと。
仲間たちと毎日とりとめのない時間を過ごすこと。
それぞれの「輝き」です。
自分に自信があって、活き活きとしている人のことを「輝いてる」って思いますよね。
ではなぜ千歌にはこれがわからなかったのか?
千歌は他人へ向ける意識の感度は高いものの、自分のことはまるで見えていなかった。
まるで見えていなかったというより、千歌の母が言っていた「うまくいかないことがあると人の目を気にして、本当は悔しいのに誤魔化して諦めたふりをしてた。」という言葉から、自分を見ないようにしていたのではないか。
「#13 私たちの輝き」で体育館にみんな揃っていて、「待っていた」という言葉を発したのは、千歌意外はみんな自分の「輝き」に気づけていたから。
そのトリガーになったのはおそらく「#12 光の海」で千歌が1対1の問いかけをしていたところにあるでしょう。
アキバドームへ向かう前、それぞれが思い思いのことをして過ごした後、晴れやかな顔をしているのです。
現地集合にしよう、と提案した千歌が言っていたのは「ひとりになって自分を見つめ直す」ということでした。
千歌と8人の違いは「千歌から問いかけられ、自分を見つめ直したか」という違いです。
千歌の問いかけがあって、見つめ直すきっかけがあったから8人は自分の「輝き」に気づくことができた。
周りのことに気を配れる千歌だから出来たことであり、同時に周りしか見えていなかった千歌の弱点でもあったのです。
そんな千歌がついに自分のやってきたことを、自分を振り返って見つめ直して気づいた、ずっと自分の中にあった「輝き」です。
- ラブライブ!サンシャイン!!とはなんだったのか
まとめに入ります。
本作の主人公・高海千歌は普通の女の子。
普通であることにコンプレックスを抱き、自分にフタをして燻っていた。
やがて、燻っていた日常を吹き飛ばすスクールアイドルに出逢い、「輝き」を探し始めた。
活動を続ける中、学校が統廃合の危機に瀕することになる。
これを阻止すべく、ラブライブに出場(=知名度を上げて入学希望者を増やす)。
が、学校は廃校。
学校の名前を残すべくラブライブで優勝する。
というのが表面上のストーリーです。
こうしてみると、「輝き」を探し始めたことと「ラブライブで優勝すること」の整合性があまり感じられませんね。
それに2期の主軸として据えられていた「各キャラクターの掘り下げ」は寄り道だったようにすら思えてしまいます。
あくまで、「表面上」は。
声を大にして言いたい。
「ラブライブ!サンシャイン!!は、ふつうの、ひとりの女の子が自分を見つめ、自分の人生を肯定し、自分をスキになる物語。」
先ほども書いたとおり、2期は「各キャラクターの掘り下げ」が主軸に据えられていました。
学年間のぎこちなさだったり、みんなとおなじように接してほしかったり、分かりあって全てに意味があると思えたり、2年越しの夢が叶ったり、姉にクリスマスプレゼントを贈ったり、お祈りをしたり、本音でぶつかれるようになったり。
他人から、もっと言えば「ラブライブという競技」に重きを置いている人間にはちっぽけなことでしょう。
でも、彼女たちはこれらについて必死に悩んでいた。
端から見たらちっぽけかもしれないけれど本人にとっては大事なこと。
なぜなら、それが「その人物」を形成しているものだから。
各々がこの小さなほころびを抱えたままだったとしたら、果たしてラブライブで優勝できたでしょうか?
ぎこちなさを抱え、距離を感じ、メンバー間でも絡みづらいキャラがいたり、必殺のフォーメーションを封印し、自立できず、安心して帰ってこられる場も作れずに、本音を隠したまま、優勝できたでしょうか。
26話、無駄なシーンは1つもなかったと思います。
「全てに意味がある。」
「#5 犬を拾う。」において放たれたセリフですが、このセリフこそラブライブ!サンシャイン!!を物語っているものだと思います。
全てに意味がある、というより、「全てに意味を見つける」というほうが個人的にしっくり来ます。
虹をただの現象だと捉えるか、「何かいいことがあるかも」と意味をつけるかは人それぞれなのです。
虹を見て「綺麗だ」と思えるのは人間だけなのですから。
人生に意味を見つけ、色を付けていく。
無色透明な水が青く見えるのは、太陽光があるから。
彩りのない日常に色を付けるのは、「君が君であろうとしてるチカラ」による「輝き」。
すべてのことに意味を見出して、自分にとって意味のあるものにしていく。
そういう生き方が素敵なんじゃないでしょうか。
千歌は26話通して、8人を肯定しつづけるスタイルを一貫させています。
やりたいことはやろう、といって手を差し伸べたり。
逆に、千歌が折れそうになったときは周りが手を差し伸べたり、背中を押してくれるのです。
千歌への肯定や期待が「千歌のエネルギー」になっていることは以前触れたのですが、他人を肯定することで自分も肯定されていき、さらに千歌は自分のことも肯定し、自分のことを愛せるようになったとあれば永久機関の完成です。
「肯定されるにはまず自分が肯定する必要がある」というのが持論なのですが、素晴らしい形でそれを実現してくれたアニメだったと思うのです。
「君が君であろうとしてるチカラ」に気づいて、自分の人生を肯定できるようになる、人生を愛せるようになる。
「輝き」が「輝き」を呼ぶ。輝きの伝播。
そんな成長を見守っていく時間が本当に楽しく、嬉しかった。
最高の愛の物語に感謝と敬意を込め、終わります。
本当にありがとうございました!
「ラブライブ!サンシャイン!!」という怪物
忍びの国DVDのオリコン数値まとめ